trosk’s diary

死んじゃった!夫を亡くした妻のブログ。まだまだ人生やりたいことがたくさんあった。これからって時期にパートナーがいなくなった。それでも生きなきゃいけない。人生って過酷。生きなきゃいけないから前を見たい。苦しいんだけど笑いたい。

時間が巻き戻ることがある

何ヶ月たっても、いつまでも進歩がないように思える。

 

周りはすっかり死人として捉えて、過去にしいる。

 

 

過去形で、思い出話。

 

 

 

だけどここにいて、普通に生活しているように感じることもあるし、死んだ直後の時のように胸が締め付けられ息が止まりそうな感覚になっていることもある。

 

 

自分1人だけ周りの感覚についていけないのか、周りが早いのか、普通なのか。

 

 

ただでさえ置いていかれたのに、ここでもひとりぼっち。

 

 

 

時間は進み続けているが、自分の時は止まっているか、瞬間的に過去のひと時に戻っている。

 

感覚はどんどん過去に遡っていくように、より鮮明に悲しみを受けている気がする。

 

 

 

 

時間が癒すなんて、うそだ。

 

時間は癒しではない。時間は地獄。

 

 

閉じ込められている気がして、気が遠くなる。

ゴールが見えない。。。。

 

がんの治療の記事

小林麻央さんが亡くなられたことで、がんの治療方法についての記事があがっていて、いくつか読んだ。

 

専門家じゃなくとも、少しネットで調べるだけで様々な学説があり、治療方法も抗がん剤放射線の他、代替え療法と呼ばれるものなど多数あるように思われる。

 

 

何が正解か誰にわかるのだろう。

ビジネス抜きに考えられている治療方法なんてあるの?

 

 

その治療には余命いくらかの時間をかけることができるの?

 

 

抗がん剤は絶対だめ、放射線は他のがんを引き起こす

 

 

そういう説もちろん調べた中にあった。

調べつくして、調べつくして

 

 

それでも答えはわからなくて

できることも限られていて

 

 

本人にとって家族にとって良いと思う方法を選択した

 

 

 

後になって、あっちがよかったかも、こっちがよかったかも

そう思うことがあっても、1つしか選べなくて

調べる時間も決断までの時間もわずかだったりする。

明日へ命をつなぐためにどうするか。

 

 

結局『今』しかなくて。

 

 

 

もう戻ってこない。

 

 

 

 

 

これが正解で、あの治療法は絶対だめ

という意見を載せる人は、

経験したことがあるんですか?様々な治療法を。

余命が数週間か数ヶ月のガンを。

 

 

もっともな納得のいく根拠や信頼できるデータもなしに治療を否定して、選んだ道の希望をなくしてる人。

もっと、人のためになることが書けないんですか。

 

 

 

不思議な体験 耳鳴り 移動

金縛りにあったのか、金縛りにあう夢だったのか

定かでないが、不思議な体験をした。

 

 

いつもと同じく寝室で横になって眠っていた

すると耳鳴りの音が波になって大きくなったり小さくなったりする

気のせいかと思うと、そうではないとばかりに大きく重くなる。

 

 

まずい、なにか悪いものを寄せてしまったと思い

体に力を入れて、跳ね除けようとしてみる。

いい人パワー!!!というイメージで、えいっと力を入れる。

(今までやったことはない。)

 

すると、むしろ耳鳴りが強くなり、意識を保っていられない。

それから喉のあたりも苦しくなり、呼吸が浅くなった。

助けを呼ぼうと思って叫ぼうとすると声を出すことができなかった。

体も動かなかった。

 

力尽きて、頭が重くなり、意識が飛んだ。

 

 

もう一度目を開くと、また耳鳴りがひどかった。

この場にいるのがこわくて

立ち上がってみると、ぐらついたが足は動いた。

 

 

急いで部屋から逃げた。。。

 

 

 

後日、幽体離脱の練習をしていたとき、

これも夢かわからないが、

眠ってる体が自宅に移動した。

自宅で目を開けてから横たわって、また元の場所に戻って

横たわっていた。

 

 

夢か、意識が動かせるようになったのか??

 

そのうち夫に会えるだろうか。

亡くなってからしたこと2

 前回

 

trosk.hatenablog.com

 

 

 

マンションの前に車を止めてもらい、管理人さんに声をかけた。

『夫が病院で亡くなって帰って来ました、エレベーターの子扉を開けていただけますか?』

 

管理人さんもびっくりして、言葉にならない言葉を発して対応してくださった。

 

 

家族に先に行ってもらい鍵を開けておいてもらった。

夫とエレベーターに乗る。

 

終始、こんな形で家に帰ってきたことがショックでならない。

このエレベーターの鏡で写真を撮って送ってくれたよね。大好きな帰り道。家までのエントランス、廊下、エレベーター、本当にどこも幸せな思いが染み込んでる。

 

そこを通る。違う形で。

 

 

家の中に入ってから、どこに安置しますかってことで。人が来てお線香をあげるから、リビングに近い部屋?とかもあったが、ペラペラのお布団に寝かせるなんて可哀想すぎる、と思い寝室のベッドに寝てもらった。

 

(担架の上に葬儀屋さんのペラっとしたお布団をしいて移動していたのでそれなら貸してもらえるとのことだった。)

 

遺体の安置と、お線香とかのセッティングはおまかせで、家族とリビングにぺたんと座った。 明日実家から布団を持って来る、今日は誰が泊まる、誰が誰に連絡をする、銀行に行かないと。

次々に色々と出てきて、放心状態になる暇もない。

 

 

セッティングが終わると葬儀屋さんの遺体お運びチームはそこで帰っていった。葬儀まで毎日午前中にドライアイスを変えにきてくださるそうだ。

 

 

葬儀の詳細は担当が来てから決める。

自分よりももっと大人がいた方が安心なので、改めて来てもらうことにした。

 

 

 

親友の何人かに連絡したらその日のうちに夫に会いに来てくれた。

まだ自分にも実感がないのに、彼らの顔を見てお線香をあげる姿を見て、またもや死んじゃった感。

 

 

 

夫は家に帰って来てから顔色が変わった。

むしろ元気な顔になって、だんだんと笑顔になった。

幸せそうな顔で涙がひっこむ。大好きな夫。

綺麗なお顔をしている。いやほんとすやすや寝ている。

起きそう。死んでなさそう。死んでないな。これ。嘘だな。起きるな。

そう思ったけど。。。起きてはくれない。

 

 

 

病院疲れたよね。ほんとによく頑張ったよね。お疲れ様だよ。ありがとうね。いつも頑張ってくれて。1人で耐えてくれて。

感謝の気持ちしか出てこない。

 

 

長い時間話しかけた。なにか聞こえるんじゃないかと耳をすませた。

返事はないけど、表情がどんどん変わるから話しているみたいだった。

一緒にいられて安心できた。

 

 

 

その日も次の日もやたらと天気が良かった。告別式の日は雨だったけど、それまでずっと晴れていた。晴れ女、晴れ男だから。

 

 

 

翌日葬儀屋の担当者が来て、葬儀の日程を決める。

いま葬儀は激混みで、火葬待ちが長くて、冷暗所に預けるなど困ったと友人に聞いていた。何週間も待つのではなかろうかと心配していたが、担当者は電話をかけまくってやっと火葬場と会場を押さえられたようだ。そんなに待たなくていいようだ。

 

 

あとはパンフレットを見ながら一つ一つ決めていった。あとで決める宿題もわかりやすいようにしてくれた。これとこれをどちらにするか決めて、人数を書いてFAXする。

結婚式よりよっぽど簡単だ。

お花を決めて、お料理を決めて、あとはベースグレードがあるので気に入らないものは、好きな色にしたりして。パンフレットの1ページごとに選ぶだけ。

その場で見積もりを出してくれた。

 

最後にポチ袋を渡され、鉛筆で金額を書かれた。

このブログにも書いたが、心づけを準備しておくように言われた。

 

trosk.hatenablog.com

 

2〜3時間くらい打ち合わせをしただろうか。

 

 

その場で決まった葬儀のご案内を印刷してくれた。

挨拶と葬儀詳細と地図やら問い合わせ先(葬儀社)が載っている。それを写真にとって、会社に送り、友人に送り広めてもらった。

 

 

すぐに葬儀屋から連絡が来た。

 

『旦那様の葬儀参加者が予想をはるかに超えそうですので、会場すべて貸切にした方が良いと思います』

 

拡散の噂が葬儀屋の中に届き『すごいことになっている』と話題になってしまったようだ。さすがにSNSとかには載っていないと思うけど...メールやLINEでそんなに広まったとは...。芸能人か!

夫がすごいのか、年代的なものなのか。

規模感がよくわからないのでアドバイスに従って進めた。

後から考えても葬儀屋さんの見込みは全て的中していて、的確なアドバイスと提案をもらえたと思った。

 

 

決めることを決め切ってしまうと暇だった。

何をしていたか覚えていない。

悲しみに浸りたいけど、そうもいかず、本番を待つような感じで過ごしていた。

 

今思えばこれが夫の肉体と過ごす最後の時だったので、もっと時間を大切にすれば良かった。

 

 

暇だった割にぎりぎりになって喪服のことに気づく。

自分にとっては夫といる時間はすべてデート。常に綺麗に可愛くいなければならない。

ネットで買った喪服でサヨナラをするなんて絶対いけない。

家族に家をお願いしてデパートへ。

 

自分の中で悲しみの色はまっ黒じゃないんだけど、なぜこういう風習なんだろう。と思った。 

  

 

そして明日はいよいよ通夜である。

喪主を務める、通夜と告別式の一大イベント!というのがインパクトが大きくて、死んでしまったこととか、夫とのお別れであることがリアルではなかった。

ちゃんと通夜と告別式の理解ができてないような状態だった。

 

他人には説明しづらい感情だったので、誰にも何も話さず、悲しみで頭が真っ白という感じだけを出していたが、本当はとても複雑だった。

 

ちゃんと悲しみたいのに、夫のことだけを考えたいのに、そうはできないので、まだ死んだことが理解できない。

それは今も細く続いている。あの時のせいだとも思う。ちゃんとお別れをしないといけなかったんだと思う。

 

ろくに眠れていない日々だったが、明日いよいよということでまたふ眠れなかった。

 

  

亡くなってからしたこと

頭が真っ白なのだが、段階を追っていったらあっという間に何もかもが終わっていた。

今考えてみるとすごく大変なことだったので、記録してみる。

 

 

ご臨終です。

あのセリフ。

言わないで言わないで、あり得ない、絶対にそんな風に言わないで、普通の人なの!

って思いながらも先生は言葉を言い終わった。悔しかった。

そして次々に管が抜かれていく。輸血、点滴、点滴、点滴。そして酸素マスク。

命を繋いできたものが片付けられていく。

ドラマみたい。他人事のようだった。

 

 

体を拭く。

泣きながらも、唯一最後にしてあげられることだ、とそこは結構冷静になり丁寧に丁寧に想いを込めて拭った。少し温かいくらいのお湯で手持ちのタオルを固く絞って拭いた。

 

くまなく吹かせてもらえるわけではなく、ある程度。

途中からは専門の看護師が遺体を清める。

なりふり構わず、キスしてハグして離れたくない!!!と内心思っていた。

それは叶わず、入院の大荷物をまとめ、霊安室で待機しているよう言われた。

 

死んだらあっけない。

はい退室です、はい拭いて、片付けて、はい移動。

とそれはあっという間。

看護師さんの口調はみなさん優しいが、実に素早い。あっけない。

さっきまで、生きてたんですよ?

人だったのよ。昨日の夜まで普通だったのに。。。。。

まともな会話はできなかったけど、早めに帰って休んでねって言えたのに。。。。

 

入院の荷物はすごく多いので片付けも大変。

駆けつけてくれた家族2人と一緒に3人がかりで片付ける。

泣きながらもテキパキと。

入院用のパジャマやTシャツウエストウォーマー、タオルはかわいいやつを選んでいた。少しでも入院ぽさをなくしたかった。明るくしたかった。

狭い病室なのに、旅行カバン3つ分くらい荷物があった。

カートを借りて霊安室へ。

 

入院のカート、何回押したことか。退院とまた入院と。

 

  

霊安室にくる。

地下の立ち入り禁止と書かれた奥の重い扉の向こう。

寒い冬だったけど、さらに寒かった。

担当の礼服のおじさんが出てきて挨拶をして、なにやら説明を受けた。

葬儀屋さんだ。病院専属?の人みたい。

葬儀屋を急ぎ決めて病院に迎えに来てもらわなければいけない。

 

普段何かを決めるなら、ググって何社か比較して決めるところだが、そんな余裕もない。 

 

葬儀屋は家族の会社の福利厚生関連で割引がきくところがあるとかで、そこに連絡をした。

 

そうこうして座って待っていると、看護師に連れられて夫が到着。

 

部屋の奥の方に運ばれた。

白い布をかけられていて、ろうそくとお線香のセットが横に付けられた。

死んじゃった感がいきなりすごかった。

この光景がまたショックだった。祀られた。。。

常に涙が出ていたが混乱してさらにどっと出た。

 

 

主治医、担当医、看護師たちが次々に挨拶に来た。

お線香を備えて手を合わせる。

 

夫に向かって、手を合わせる。

 

ここでもまた、そんなのやめてよ死んじゃったみたいじゃない。と思う。

そして自分で死んじゃったという言葉にショックをうける。

何度かそれを繰り返して勝手に涙の波ができていた。

 

 

最後に主治医から死亡診断書を手渡され、もう一度死因など説明を受ける。

ずっと一緒に立ち向かって来た、病気の憎いこと。

夫の名前と死亡したこと。またショックを受けて泣く。

 

 

後列の右側がないワゴン車に夫が乗せられた。

お顔あたりの左隣の席に座る。

 

『一緒にお家に帰れるね』

死んじゃったけど。。。。。

自分で思ってまた泣いた。

 

 

 

医師と看護師全員が礼をする中で、病院を出発した。

 

 

 

2へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ごくごく普通の人の医学知識をもっと詳しくもっと簡単にもっと身近に。

病気のこと。

 

夫の病気は、治りにくい病気だ。

常に死の恐怖がある。

 

 

ネットでいろんなことを調べた。

治療法、最もいい病院、最もいい先生、食べ物、飲み物、薬の成分、副作用

 

予防できない病気だから、気休めにしかならないかもしれないけど

 

できることをなんでもしたかった。

自分にできることは微々たるどころか、ゼロに近く。

何か何かと常に調べていた。

 

元気になった人のブログは見たことがない。

その時元気になれても、数年後も元気でいられる人は本当にわずか。

病院が教えてくれる生存率よりも、ずっと少ないのでは?と思ってしまう。

確率は、確率。それぞれによってももちろん違う。

だから希望を待つしかない。

かけるしかない。

生きたいから、やるしかない。

 

 

でも患者が知ることができる情報は少なすぎる。

 

ネットで検索しても、なにが正解かわからない。

判断できる正しい知識がない。

 

医学的な勉強をした人でも、難しいことで、だから異なる治療法があって、それぞれに推奨する治療が違うのだろう。

 

 

医学論文を素人がわかれば、何か違っただろうか。

裏の力みたいなものに左右されずに、情報がもっと身近に伝わるような社会であったら、別の薬があっただろうか。

 

 

患者は先生を信じるしかない。

 

信じられる先生に出会うこともとても大変。

出会えない人もいるのかもしれない。

 

 

いくつもの病院の症例数を調べ、生存率を調べ

先生個人を調べ

セカンドオピニオンにも多数回った。

夫が動けない時、自分1人で行った。

そういうときは、先生も本人がいないからか余計に辛い現実を突きつけた。

『悪いけど、数ヶ月も持たず正面玄関からは出れないね。』

(霊安室から専用出口を通ることになるということ)

 

セカンドオピニオンを受け付けてくれないところもあった。

生存率が低すぎると話すら聞いてもらえない。

 

 

そんな中でやっと見つけた病院でも

少しのことで先生に不信感をもって、不安になる。

 

先生を信頼できないと、治療が怖くなる。

心にどんどん負担がかかる。

 

家族の支えがないと、乗り越えられない。

 

 

 

医学の情報のあり方とか、先生の接し方、病院や治療のあり方

深く深く考える。

 

無知だと選択肢が少ない、不利だ。

 

もっと身近に、もっと判断材料があったら。

 

 

 

 

こんなに苦しい辛い経験を活かす

できることはないかと考える。