trosk’s diary

死んじゃった!夫を亡くした妻のブログ。まだまだ人生やりたいことがたくさんあった。これからって時期にパートナーがいなくなった。それでも生きなきゃいけない。人生って過酷。生きなきゃいけないから前を見たい。苦しいんだけど笑いたい。

数ヶ月経ってからの遺族へのコミュニケーションで気を付けること

死んだ後はどうなるの?

一瞬たりとも夫のことを考えない瞬間はない。

常に今どういう状態か。それを考える。

 

 

こういう時、誰に何を言われても信じたいと思えないし、余計なお世話なのでほっておいて欲しい。

 

数ヶ月経ったところで、

これからどうするのと親戚に心配されたり、声をかけられる

スピ系の本をもらったり

仏教の教えを説かれたり

勝手にお寺さんにお経をあげてもらわれたり

(勝手に自己満でしていただくのはいいけど。そのあと関わりを持とうとしたり、押し付けがましくやってもらったアピールされるのはね)

 

 

それぞれに信じていいことなはずだから、だから押し付けないでくださいよ。

 

なにかを信じることで心が救われるようなら、とっくに見つけてるよ。

 

 

そう思う。

 

 

 

死んだらどうなるのか。それは常に疑問で、それがわかれば少しは心が楽になるかもしれない。毎日に希望が見つかるかもしれない。

 

でも死んでみないと確信はできない。

 

自分の経験の中から

ヒントをあげようとしてくれる人よりも

 

なにも言わず、聞かず、ただお線香をあげに来てくれること。

好きだった食べ物や飲み物をお供えしてくれる友達の方が、いてくれてずっとずっと嬉しい。

 

ほっとする。

 

 

ありがとうと素直に思える。

 

 

遺族のためにできること、気持ちを形にする方法

押し付けじゃなくて、エゴでもなくて

故人のことを思い返すことが、遺族のためになると思う。

 

もちろん故人のためにもなると思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

trosk’s diary

 

 

時間が過ぎても、いつも同じ気持ちでいます。

早くそちらへ行きたい。

 

 

涙を見せなくても、弱音を吐かず、明るく振舞っていても

 

それは立ち直ったとか、慣れたとか

そういうことではない。

 

 

辛い苦しいさみしい思いしかないから

どんどん自分の内側に入っていくだけ

 

 

もちろん笑顔で過ごしたい、心の底から笑いたい。

 

Happy 幸せ

この言葉を使える人が羨ましい。

 

でもどこかそれを冷めて感じてしまう。

幸せ と言う言葉がトゲのように刺してくる。

 

 

変わりたくない。

一緒に過ごした日々を過去にしたくない。

新しい人生を自分1人で進めたくない。

 

 

執着だ、それはいけない とか その物差しで言うのをやめて欲しい。

 

 

素直にありのままでいて良いのなら

変わりたくないことも受け止めて。

 

笑顔を取り戻させようとしないで。

 

 

生きてることは苦しい。

寿命がわかればもう少し楽になれるのに。

そこまでなんとかやるから。

 

 

 

 

 

毎日同じ安定した暮らしのある人が羨ましい。不満があることすら羨ましい。

夫婦喧嘩をあえて見せてくるような2人。

羨ましい。

 

お互いの愚痴を言っているのも羨ましい。

 

あたり前すぎて気づいていないのか、わからないけど。

不満が生まれるのは幸せがあるから。

「もっと」と欲があるから愚痴がでるだけ。

当たり前の、何にも代えられない幸せがある。

羨ましい。

 

 

幸せな話題を聞くのも、自分にはないもので辛いと感じるけれど、

愚痴や不幸話をされるのもまた辛い。

こちらの事情を知っていても、ついつい話してしまうのだろう。

別にいいけど。

 

 

いつも

夫の気持ちを知りたくて不安で寂しくて。

話したくて抱きしめたくて。

 

同じものを食べて一緒に歯磨きをして同じベッドにはいる

そして2人で目覚める

その当たり前の"ただの生活"にとても憧れていた。

長い入院生活で、それがどんなに貴重で特別なことか思い知った。

 

夫と生活を共にする、時間を一緒に過ごす

 

それが一番の夢。

 

 

あの世があって、暮らしがあるのなら

ただ一緒に居ることができればそれでいい。

どんなでもいい。

 

 

ただそれだけがあればいい。

日々現実を突きつけられる出来事の中で想いが募る。

 

 

 

なかなか追いつかなくてごめん。

なんでもできる王子様キャラだから

あの世でもすでに活躍してモテてそう。

でもまだ待っててくれますように。

 

 

早死にする人

早死にする人はいい人。

 

本当にそうだと思う。

 

 

夫はめちゃめちゃいい人間だった。

反省するような行いをしたことがないどころか、善の塊だった。

小さなことでも、何一つ反省することがない人なんているはずない、と思うのに。

 

 

誰にでも優しくて、自分のことよりも周りのバランスを見て生きていた。

誰にでもって、全然知らない他人にも。

 

 

なんでそんな良い人が自分を1人にして、先に進んでしまったのか。

 

寂しくて辛くて苦しくてしょうがない。

 

こんな思いをさせる人じゃないから、彼も今申し訳ない気持ちに苦しんでいるのだろう。

 

 

墓をどうしたらいいか教えて欲しい。

夫に聞きたいこと。

お墓をどうするか?

まだ積極的に入れようとしてはいないが、ぼちぼち考えてはいる。墓地だけに。

 

 

自分達夫婦は墓の話を現実的にしたことがなかった。

まだ30代にもなっていないし。

本当に死んじゃうと思わなかった。

 

 

長男で家の宗教を継ぐ

とかだったらお墓はまだ持っていなくても

"どこのお寺で"くらいは決まってただろう。

 

 

そういうのが特にないし、信じてたわけじゃない宗教に勝手に入れるわけにもいかない。

 

 

ゼロベースだ。

幅が広すぎてどこから決めたらいいか全くわからない。

 

 

 

お墓は家のように売り買いできないのでまず立地の問題。

 

自分がこれからどこで生きていくかわからない。

お墓のお世話はちゃんとしたい。

行きたいと思った時に行けるよう、15〜20分程度の場所で暮らしていたい。

 

結婚して住んでいたところには、自分は特に愛着がある。

2人の思い出の場所でこの先も過ごして行きたい。

夫も気に入っていた。

けれど実家のあたりに住んでいた期間に比べると短い。

そのほとんどが入院だったため、お墓を建てるほど夫の思い入れがあるかわからない。

 

(実家より好きだったと思うけど)

 

そこに住み続けられるのかも、なんとも言えない。

 

夫の実家も永住が決まっているわけではなさそうなので、実家の近くも微妙になる。

 

 

 

 

 

お墓に入る人、規模やタイプの問題もある。

 

今墓待ちの人は夫ひとり。

1人で入るのはかわいそう。誰か死んでから一緒に入れてあげようよ。

みたいな話もある。

一緒に入るのに1番近いのは夫の両親だろう。

両親は

家の墓として購入し、息子もそこに、と考えていたり

個人単位で入れる墓地に入れて、死んだら同じ所に、という意見があるようだ。

 

自分は、

夫と自分、2人の墓でも良いと思っている。

(家を継ぐとかじゃなかったから、代々の観念がない。)

なんなら2人の骨を混ぜ混ぜにして一緒にしてほしいくらい、一緒に居たい。

 

しかし今はそう考えている、ということ。

 

どんな人生になるか本当にわからない。

例えば、他人に言われたように、再婚して子供にも恵まれるかもしれない。

そうしたら 夫の墓に入れるだろうか?

夫の墓の近くにいて、お世話もできるだろうか?

 

そうできないならそうなりたくない。

 

夫以外と家族を作りたいとは思ってもいないけど。

 

 

 

 

子供がいない時点で、墓を持つ意味自体ないかもしれない。

 

自分の中では、骨は骨!と思う。

夫は骨じゃない。その骨は確かに夫のものだったし、夫が残した唯一の肉体の証なのだけど、でもそれが夫だとは思っていない。

骨に祈るわけじゃない。

 

お墓は繋ぐ場所になると捉えている。

繋がりたい人の最年少は自分なのだ。

 

なので自分が死んだら、墓の役目は終わるはず。

 

自分が最後に死ぬなら

死ぬまで骨を保管し続けて、2人の骨を散骨してもらいたい。

思い出の海に。 

 

 

 

とは言え、夫の両親のこともあって

自分1人では決められない。

 

 

結婚して数年でこんな問題に悩むとは思わなかった。

家と家。結婚。

まだまだいろんな他の戯言があっての墓問題でしょ。

先に親の墓問題とかで揉めたりなんだりしてからでしょ。

 

そういうのやりたかった。

(揉めたかったってことじゃなくて)

 

なんでも2人でやりたかった。相談したかった。

 

2人で老いていきたかった。