trosk’s diary

死んじゃった!夫を亡くした妻のブログ。まだまだ人生やりたいことがたくさんあった。これからって時期にパートナーがいなくなった。それでも生きなきゃいけない。人生って過酷。生きなきゃいけないから前を見たい。苦しいんだけど笑いたい。

これまでのこと

自分達は20代後半。

人生の三分の一ほど一緒に過ごした。

夫は病気のため先にあの世へ。

 

 

同世代の夫は運動神経が良くアクティブで休日にはよくスポーツをしていた。

健康で、風邪すらひかないことが自慢。

 

 

 

最初は

30万人に1人という珍しい病気。

 

医師から「あと数日病院の受診が遅れていたら死んでたいた。」と告げられ、それだけで枯れるまで泣いたことをよく覚えている。

 

誰もが驚くような快復を遂げたものの、次は別の血液腫瘍。

 

 

闘病期間は

これまでの人生なんて数日じゃないのか?

と思うほどに長く感じたし、実際長かった。

 

 

難しい治療、長い時間。

色々なことを経験した。

 

全身不随や一時的な記憶障害なども。

 

最終的には医師も全く手が出せないほど深刻な状況で、これでもかと言うほど非情なまでに病気にやられた。

 

 

辛い苦しい出来事が何度も起きた。

そして夫と自分は毎回大きな決断をした。

 

 

1番心に残っているのは

夫の人生なのに、自分が延命処置の判断をしなければならなかったこと。

 

 

もし "昏睡状態で生かされているだけ" を選んでいたらどうなっていたか...?

 

 

人の寿命はおおよそ決められて生まれてくる、とも聞く。

だから人間の決断によらないのかもしれない。

 

 

だとしても

あれほど苦しい気持ちを持つことはもう二度とないだろうと思う。

 

 

(そう思うと、この後の人生はそう辛いものではないのかな...。)

 

 

 

 

 

やっと出会えたかけがえのない人。

 

 

家族にも、友達にもなんとなく

本当の自分が出せず

自分でも自分がよくわからない。

 

 

だけど

夫といると自然体で過ごせる実感がすごくある。

何も言わなくても全てが通じ合い、同じ感情を同じ瞬間に持つことができる。

 

 

それに

夫は神様なんじゃないかと思うほどとにかく『良い人』。

だから夫と一緒に過ごしていると

素直で優しくあたたかい気持ちを持っていられた。

 

 

どんなことでも夫のためなら頑張ることができた。

 

 

自分のことも好きでいられた。

 

 

良いところを学べて、悪いところを見つめ直せて、お互いがいると成長できる。

そんな関係。

 

 

 

 

姿が見えず、話をできないと言うのは、ものすごい壁だ。

 

そうなって初めて

『彼は自分自身だった』と気付いた。

 

 

毎日のこの違和感、自分のことがわからないのは、自分自身を失ってしまったからなのだ。

 

 

自分のことがわからなくても

しょうがないんだ。

 

 

今は自分のことを好きと思えない。

それもそれでしょうがない。

足りていないのだから。